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宇宙創世からの神のシナリオが明かされた!
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④皆さんの人生に、単なる「宗教」や単なる「哲学」というものはない
 ここからは、本文にはいる前段階として、新しい見方(実は、人生についての本当の見方、真理)についての予備知識を得ることを兼ねて、「普通の」言葉で一通りのことを書いてみることにします。
 まず初めに、基本の基本から。皆さんは、私が前の二冊でも提案していた、最初にあげたような問いに対して、今ここでは、どんな答えをお持ちになっているでしょうか?
 皆さんの中には、「自分はこの競争社会を生き残るのに忙しくて、そんな哲学や宗教の話をしている暇などない」という方もいらっしゃるかもしれません。でも、皆さんの人生には、実際のところ、皆さんの人生に全く何の影響も及ぼさないような、単なる「哲学」や単なる「宗教」というものは一切ないのです。本当は、「哲学」や「宗教」というものは、皆さんの体験を創りだす原因となる非常に大切な道具なのです。つまり、他でもない、今ここに提示した、このセリフ自体が、皆さんに「哲学や宗教の話をしている暇をなくす」体験を創りだしている「宗教」そのものなのだということです。(ここでは「見方」「考え方」「基準」「観念」「想念」「哲学」「(今までの○○教という)宗教」等々をすべてひっくるめて「宗教」と言うことにしますので、そのつもりで読んでください)。
 皆さんの体験というのは、皆さんが選んでいる「宗教」によって、自由自在に、どうにでも変わるものなのです。皆さんの選択次第で、「自分が望むことは何でもできる」と言っても過言ではありません。実を言うと、皆さんの体験は、すべて皆さんが言っているセリフ通りになっているのです。そして、皆さんは、外側に原因を求めていますから、その見つけた原因が自分自身の創りだした作品であることを知らずに、そのセリフを言い続けることになるのです。
 皆さんがもし、「そういう考え方はおかしい」と言うとしたならば、それもまた、皆さんのもっている「宗教」の産物であり、その「宗教」をもっている限り、いつまでもそのセリフを言いつづけることになります。そして、もしやりたければ、またまた「いやそういう考え方は~」というように、やりたいだけ、永遠に、いくらでも、お好きなだけそのゲームを続けることもできます。さらに、「あんたは、バカにしているのか?」などと言うとしたら、本文をよーく読んで、それがどういうことか、よーく自分で考えてみてください。本当のことが分かったら、二度とそのセリフは言えなくなるでしょう。
 
 皆さんが、私がここで書いていることを受け入れない限り、皆さんが「や~めた」というまで、皆さんがやりたいだけ、永遠に、こういう議論を続けることもできるのです。
 言い方を換えると、「自分の現実は自分が創りだしているものである」ということを皆さんが認めない限り、「どっちが正しいか」「どっちが本当か」「どっちが正常か」「どっちが素直でないか」等々の、外側を分類判断する、結論の出ない、対立や争いのゲームを永遠に続けることになり、それに付随して、様々なトラブルを創りだし、果ては、殺し合い(戦争)というゲームまで発展し、最後には、人類滅亡というシナリオまで用意されることになってしまうのです(ただし、皆さん自身がどうなるかということは別にして、この最後のシナリオは、すでに回避されていますので、ご安心ください。詳しいことは、後ほど)。
 
⑤皆さんの「内側にある戦争」が「外側の戦争」を創りだしている
 皆さんが知っている、あるいは、体験してきた今までの戦争の歴史というのは、こういうメカニズムが働いて繰り返されてきたものなのです。実は、戦争を無くそうとすることは、戦争を創りだそうとしているのと同じことなのです。「戦争は悪いことだからやめるべきだ」といっても、永遠に戦争はなくなりません。これは、今までの歴史を見れば、明白なことです。未だに「戦争」が世界の何処かで起きていますから。そして、皆さんがた一人ひとりの日常のいざこざという戦争は絶えることなく繰り返されています。
 皆さんは「言葉」に出す以前に、必ず、自分の内側で「自分と自分との戦争」をやっています。「内側にある戦争」というのは、自分の外側にあるものを○か×かで(ココロの中で)判断するゲームです。本当に戦争を無くしたければ、外側に見えている「人の宗教」に戦いを挑むのでも、自分の正しさを証明しようとするのでもなく、「自分が戦いたくなるのは自分の内側にある○×が原因である」と自覚すること、つまり、皆さんの内側を「自分が自分のすべての現実を創りだしている」という「宗教」に入れ換えることが必要なのです。
 戦争(議論、争い、喧嘩、いじめ等々)というものは、皆さん一人ひとりが、戦争を創りだす、争いを創りだす、議論を創りだす、判断を創りだす、葛藤を創りだす、皆さんの「内側のメカニズム」に気づいて、それを変えなければ、永遠になくならないものなのです。つまり、「外側にある戦争」というのは、皆さんの「内側にある戦争」を解結しなければ、無くならないのです。
 戦争に限らず、皆さんの外側にあるものはすべて皆さんの内側にあるものの反映、鏡なのです。言い換えれば、皆さんの外側にある(見えている)ものは、皆さん自身の作品なのです。皆さんのもっている○×、善悪、正誤、良否等々の基準が外側に映っているだけなのです。このことを理解しているならば、人の責任にしたり、責任転嫁をするのは自分勝手であることに気づき、二度とできなくなるはずです。
 というわけで、戦争(けんか、いじめ、争い、議論等々)を無くすための根本的な対策というのは、皆さんの外側にはないのです。皆さんの外側をいくら探しても、残念ながら、永遠に見つかりません。外側に探せば探すほど、「善悪という基準」を使って無くそうとすればするほど、ますます「戦争」を創りだす結果となるのです。
 皆さんが、長い間、苦労して創りだそうとしてきた「平和」というものは、守るものでも、創るものでもなく、初めからあるものなのです。「平和」を守るために「戦争」をするというのは、本来、オカシイことなのです。皆さんの内側が平和ならば、外側も平和です。皆さんの外側に見える「人の宗教」やその成果である「人の作品」を批判し合っている限り、自分の正当性(裏を返せば、相手が間違っている、相手が悪いということ)を主張し合っている限り、永遠に「平和」という形はやってこないのです。
 ここでまたまた、「そんな考え方は~」と私に「戦い」を挑んでくるならば、皆さんの外側から、永遠に「争い」や「戦争」や「競争社会」や「トラブル」や「苦しみ」がなくなることはないでしょう。
 
 実を言うと、今ここで、このことに気づいて、言動を改めていかないと、近い将来、皆さんが嫌だと言っても、一人残らず、身をもって「内側の戦争が外側にある」ということをいやというほど知ることになるプログラムが用意されているのですが……。
 アレコレ書きましたが、実際のところ、もうこの「議論、戦争」ゲームを続けること自体がだんだんと難しくなってきているのです。
 このあたりの事情については、後で書きますので、そちらをご覧ください。
 
⑥皆さんの体験の原因(スタート)は皆さん自身が選んでいる「宗教」にある
 皆さんの多くは、「○○という現実があるから自分はそうするのだ」「○○という現実があるからそうするしかないのだ」「したいけれども、○○という現実があるからできないのだ」と言っています。皆さんに気づいてほしいのは、「○○という現実がある」と決めているのは、皆さん自身であるということです。ここに気づかなければ、皆さんのやりたいことは永遠にできないということになります。
 先ほどのセリフを使えば、「競争社会」が先にあるのではなくて、まず初めに、皆さん自身が「自分は競争社会に生きる」というゲームを選び、「競争社会で生き残るには○○をするしかない」という「宗教」を選ぶことを決めて、それに従って行動して、その結果を体験して導きだされたのが「自分は~」のセリフなのです。
「自分は~」のセリフというのは、自分が今やっている行動の理由ではなくて、自分のやっている行動の結果なのです。つまり、皆さんは「暇」がないのではなくて、自分で自分の「暇」をなくしているということになります。
 皆さんが、「宗教」や「哲学」の話を避けてしないということは、自分で自分の成功、幸福、永遠の安らぎ、夢の実現を放棄していることと同じことなのです。本当は、この話題は、人間として避けて通れない大切な大切な話題なのです。
 実を言うと、皆さんが、このセリフを言っている限り、皆さんのこの人生だけでなく、皆さんが死んだ(肉体を離れた)後も、皆さんには、永遠に「天国」はありません。今この人生の今ここの現実が「天国」でなければ、あの世へ旅立っても「天国」ではないのです。今ここが「天国」ならば、いつ旅立っても「天国」が約束されているのです。
 それはつまり、言い換えると、皆さんがもっている最大の恐れ(「死」の恐れ)から永遠に解放されると同時に、永遠のイノチを得るということでもあるのです。(「天国」といっても、「快楽」の一時だけの天国ではだめで、別の意味の「天国」を創りだすことが必要ですから、悪しからず。その方法について書いたのがこの本です。)
 
 こういうような真実を知ることによって、「臓器移植」や「延命治療」の是非や、それに係わる「脳死」や「生体移植」や「安楽死」や「医療ミス」等々、「肉体の死」に係わる様々な問題は、一気に、綺麗サッパリと解結してしまうのです。そして、議論に使っていた時間を自分の好きなことに使うこともできるのです。これは、この問題だけではなく、すべての悩み、すべての問題に当てはまることです。
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